クソオタク雑記

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仮面ライダーリバイス48話の狩崎親子について考える

 2021年9月から始まった仮面ライダーバイスもそろそろ最終回を迎えますね。様々な議論がインターネットで交わされる本作品ですが、先日放送された48話「覚悟の証明!これが…日本一のお節介!」は特に肯定派と否定派で意見が割れる回だったと思います。

  私はどちらかというと否定派の方の意見に同意することが多いのですが、かといって雑に毒親肯定と片付けるのももったいないし叩かれてるとちょと悲しいかもなーと思うくらいには色々複雑な感情が絡む話でしたし、狩崎のことはもっと好きになりました。

 そのため、1クール目からの狩崎推しとして今回感じたことを言語化するためこの文章をしたためようと思います。(ちなみにベイル二話以降とBDスピンオフは未視聴、リバミスと夏映画スピンオフは視聴済みと結構歯抜けがあるので説明されていることにツッコんでいたりその他勘違いがあったら申し訳ないです)

  あくまで自身の思考と気持ちの整理整頓なので、どなたかの意見をあげつらう意図はありません。

 

狩崎真澄は毒親だったのか

 そもそも毒親の定義が多岐に渡るので人によってはそうでないということもあるでしょうし制作陣としては流石にそう描いてないとは思います。が、私は「い、嫌な親だな~~~」になっちゃいました。

 毒親というとそれこそ初芝真くん(オルテカ)のような家庭内暴力、ネグレクトや漫画やゲームを過度に規制する教育ムーヴなどを想像するかと思います。創作物で描かれる毒親は大抵こんな感じですね。

 狩崎親子の関係はそれらには当てはまらないですし、むしろ真澄の幼少期の息子に対する接し方は理想の父親と言っても過言では無いと思います。だから「毒親」というワードに違和感を覚える方が結構いるんじゃないのかなーと。私自身も「毒親」って言葉の意味をあんまり掴み切れていないので、とりあえず「嫌」って言い回しにしておきます。

 なぜ私が真澄を嫌だな……と思うかというと

  • 幼い息子を置いて消えた
  • 息子の意思確認なく悪性の象徴である自身の悪魔を「繋がりを保ちたかった」という極めて自己中心的な理由で植え付けた
  • 対話の伴わない一方的な謝罪を行った

 以上の三点が大きいです。

 

 まず一つ目の「幼い息子を置いて消えた」は、やむを得なかったとはいえ親の都合で息子を振り回しており、かつ成長した狩崎自身も「もっと一緒にいたかった」と吐露する程度には寂しさを覚えていたので……(濱尾さんの担当するキャストブログでめちゃくちゃ最高の狩崎解釈が語られているので要チェケラ🤘😎🤘 https://www.tv-asahi.co.jp/reading/revice/

これは状況考えるとしょうが無いことだと思いますし、それ自体はちゃんと時間をかけて対話さえすれば狩崎も納得してくれた範疇かと。ただ幼少期の人格形成に親の存在は大きく関わるし、置いてかれたという意識を抱えながら過ごした幼少期の時間はもう取り戻しようもないのでけして肯定していいものではないと思います。実際狩崎の本音はこの部分の比重が一番大きかったですし、制作側も重要なポイントとして描いているんでしょう。

 

 次に二点目の「息子の意思確認なく悪性の象徴である自身の悪魔を『繋がりを保ちたかった』という極めて自己中心的な理由で植え付けた」です。ここが意見分かれてるのをよく見ますね。肯定派の方は「悪魔移植を虐待と言うのは過言」と、否定派の方は「悪魔移植は擁護しようのない行為」という感じですれ違っていますが、リバイス側の認識は登場人物も制作陣も多分前者だと思いますし、私としても素直にそう受け取りたいです。が、それにしては余計な描写が多すぎるんですよね。

 その余計な描写というのが、真澄自身が「狂っている行為だった」と反省している、植え付けられたシックがマジで最悪のことをやらかしてる、性格形成に影響を与えた可能性がある、あたりかな~と思います。

 よく悪魔移植を監視カメラやGPSに喩える意見を見かけますが、それはまだ「見守りたい」というそれらしい理由がつきそうなもんじゃないですか虐待ですけども。でも真澄のこの行為の動機は「自分が死んでも繋がりを持っていたい」ですからね。「怖くなった」と明言されているとおり、息子をいざというとき危険から守るためなどではなく、自分の弱さが発露した自分勝手な行動でしかないのです。だから彼も反省して「今考えたら狂っているよ」と言ったのです。まあ一輝は「見守りたいと思っていたからだ」と解釈していたようですが……

 それでもせめて植え付けた悪魔が狩崎に善い影響をもたらしていたら、もしくは危険から守っていたら良いのですが、実際は夏映画の黒幕で「街ひとつを実験台として幾多の命を奪った」「ハイジャック事件を起こして多くの人を危険に巻き込んだ」とメチャクチャやらかしていますからね。いくら勝手に植え付けられたものといっても自分の中に飼っていた悪魔がここまでのやらかしをしたらめちゃくちゃ嫌だし、こんな悪性の塊を植え付ける行為を「そこまで危険なことじゃないでしょ」と言われると疑問符が浮かんでしまいます。

 そして悪魔の移植がどんな影響を及ぼすかは具体的には分かりませんが、少なくとも性格に影響を及ぼしたかもしれないとは真澄本人から語られている訳で、それってアインデンティティの崩壊にも繋がりかねないてことです。その辺りは退席してしまった狩崎は聞いてないですけど、まあさすがにその辺は悪魔研究者としての知識もあって把握していることでしょう。

 狩崎はリバミスの描写的に親の七光りを揶揄される場面が結構あったぽく、一話の入隊式の演説でも父親の話を出して、デモンズに変身したときも父親超えを宣言して、かつ制服が統一されているFENIXの中で一人だけ自由な服装をしてたりいろんな発明品に自分の趣味を盛り込むような自己アピールの激しさもあったので、それらを総合すると「父親に対するコンプレックスからくる自己顕示欲の強さ」ていうのは割と読み取れるキャラかなあと個人的には思います。そして最後泣きながら吐露した本音には「俺じゃダメだよ」なんて言葉もあって、実はあんまり自己肯定がうまくないのかもしれないですね。良

 そういう人間が「お前父親超えたいつってたけど実は父親の悪魔に影響されて人生歩んでたんだぜ」て思い込みかねない真実を告げられたらどうでしょう。自分が父親を超えるべく今まで積み重ねてきた成果も意志もすべて父親の悪魔の介入があったのかもしれない……みたいな思考に行き着いた結果が、ジュウガドライバーの開発とそれによる父親の発明品の破壊スタンプラリーという行動なのだと思います。

 

 そして三点目、「対話の伴わない一方的な謝罪を行った」です。「謝れる蛮野」と揶揄されることもある真澄ですが、彼はマジで「謝りゃいいってもんじゃないんだな……」という結構大事な価値観を我々に思い知らせてくれる貴重なキャラだと思います。何が嫌って死にかけだししっかり反省してるしで責め辛いところなんだよな

 謝罪って誠意を表す行為でもあるんですが、対話を伴わないとただの自己満足にしかならないんですよね。特に真澄のような弱った人間が反省を前面に出してくるような謝罪の仕方をすると、被害者側が「許さない」という選択をとることが他者からは加害に映りかねないっていう嫌すぎる質感があります。しかも悪魔移植の件をゲロったときは一対一じゃなくて一輝やWEのみなさん(真澄に恩を感じている)もいっしょで、尚更やりづらいでしょう狩崎としては。さくらに「優しくしてあげて💢」て言われてるし。あのタイミングでゲロるのも、人によっては「お前ただ死ぬ前に楽になりたかっただけだろ!」って見えちゃうし。私はそう見えたよ意地が悪いからね

 ……という訳で、真澄は「愛があったんだよ!」で綺麗な思い出にしてしまうにはちょっと瑕疵が多すぎる親だな、と思います。

 

一輝バイスヒロミから狩崎に対する説得フェーズについて

 結局今回の着地点って「本当は狩崎自身も真澄を愛してたんだよ、その気持ちを憎しみで否定しないでね」ってことだと思うし、演技も相俟って路線変更で宙ぶらりんになったかと思われた狩崎のキャラクター性を「実はインナーチャイルド持ちの繊細な人間」という方向性で改めて固めたと言う意味では本当に素晴らしかったと感じました……父親へのコンプレックス自体も、狩崎の定点カメラをやっていれば認識できるレベルではありますが1話から文脈が繋がっていたものですし違和感もないです。

  私は推しが中盤どんどん空気になってって中途半端に良い子ちゃんにされ好きだった性格さえ父親の悪魔の影響だよ~んと言われたときはガチでリバイスを見限りかけましたが、ジュウガ編のおかげで新たな魅力を見出すことができて手のひらを無事クルックルできたんですよヤッター!

 ですがその着地に至るまでの経緯、つまりアルティメットリバイスVSジュウガ戦の問答はマジで「や、やめてくれーーーーッッッ!!!!!暴力過ぎる!!!!!!」てなるものでした。否定派の人は結構強い言葉でこの下りを批判している人もいて肯定派が反発を覚えてしまうのも分かるんですけど、家庭環境トラウマ持ちとしては本当に「言っちゃいけないこと全部言う(池の水全部抜く)じゃん……」になるレベルだったのでしょうみ致し方ないかな……って思います。

 ここからは「なんでこの描写がダメなのか分からない」という方に向けての説明に近いので、狩崎の心情というより「家庭環境コンプ持ち人間からの見え方」に重きを置いた話になります。つまりは私の実体験に基づく主観がめちゃくちゃ入ってしまいますので読み飛ばしていただいても大丈夫です。

 まず「幸せな家庭で育った人間が家庭環境コンプレックス持ち人間に親のことで説教する」っていう行為は、どんなに正論だろうとメチャクチャ暴力なんですよ。この時点での一輝は両親の記憶を失っていることを考慮すれば幾分か暴力性は薄まります。けれども……やっぱキツい!!

 家庭環境コンプ持ち人間は「もし幸せな家庭で育っていたら自分はもっとまともな性格だったんだろうな」という感情を抱えている場合が多く、実際私も家庭環境から来る鬱*1で高校を中退したあたりのころはこれのせいで人と会うのが本当に辛かったです。家庭の話を直接出されなくても、周囲のまともムーヴに充てられるだけで「ああ私にないものを持ってるからみんなまともに生きられるんだ」という妬みにも近い羨望で頭がいっぱいになるんですよね……で、一輝は記憶を失ってはいますが「幸せな家庭で人格形成期を過ごした」という事実は変わりないので、まあね見てる側としては刺激されるんですよコンプレックスが……久々にこの感情を思い出しましたね……  「もし自分がしあわせ家庭育ち人間に親の行動を肯定された上で愛を説かれたら」て想像したんですが普通に嫌すぎて嫌すぎて胃がキュンてなりましたね 同時に周囲に家庭環境のことを話しても、そういった事を言ってくる人がいなかったことに改めて感謝しました。

 狩崎が上記のような極端な感情を抱えているかというとそれは流石に深読みしすぎでしょと思うんですが、「両親が健在の君が羨ましいよ」と一輝に向けて言う台詞もありますし「幸せな家庭」に対してはなんらかの羨望を抱いてはいるんじゃないかなーと読み取れる範囲ではあって、中の人の解釈もそういったニュアンスが含まれてるので、やっぱちょっと行為自体がそもそもな……と……。

 でもあの流れで一輝を主人公として立たせつつ先に述べた着地点に到達させるにはこの行為自体はやらざるを得ないとは思うんですよ。それに下手したら狩崎はリバイスを倒した先に自己否定に辿り着いてバッドエンドに行きかねないくらいの精神状態だったし、一輝のお節介な性格からしたら説得しないほうがおかしいし。なんもかんも配慮しろといいたいわけでもないし、作劇として自然ならば……まあフィクションだし……とギリ納得したところで次に立ちはだかるのが「フィクションだとしても流石に言葉選びがやばすぎる」の壁なんですよね。

 「今の狩ちゃん見たら親父さん悲しむぜ」とか「支配じゃなくて愛だ!」とか、狩崎どころか視聴者でしかない親コンプ持ちの地雷をドカドカ踏んでゆくかつマジで真澄の行いを否定せず今の狩崎だけを責めているように聞こえる台詞の連続。トドメに「もう充分だろ」ですよ。キ、キツい 誰ひとりとして狩崎に寄り添ってなくない!?しかも悪魔移植は真澄自身が「狂っていた」と言っちゃってるんですよ、上記で説明したように問題点もいっぱいあるんだよ、そ、それをさあ!!!!第三者が愛だって言葉で形容するのは些か乱暴すぎないかな!?

 こればっかりは本当に台詞回しを工夫すれば回避できたことなのですごく惜しいんですよ……。よく言われてますが、「真澄さんが悪魔を移植したのは確かに間違っていたかもしれない」「あなたをひとりにしたことはひどいことだと思う」くらいの言葉がひと言でも入ってたらまだ印象違ったんじゃないかな。「嫌なことは受け入れなくてもいいけどだからといって大切な思い出まで否定するのはあなたも傷つくことになる」じゃだめだったのかな。被害者側の狩崎のみが責められて無理矢理傷と向き合わされて、当の真澄は死に逃げ状態で誰からも批判されない。反省しているから謝ったからつったってよ~~~~

 もちろん一輝の背負った覚悟とその後の展開を考えるとまた別種のつらさが沸いてきたぜになるから一方的に責めるつもりもないんですが、ただ「これを主人公側の意見として出すのは結構引っかかる人多いのでは……」とは思っちゃうぜ。

  毒親肯定という批判に対する  「考えすぎ」「飛躍しすぎ」ていう意見も分かるんですけど、やっぱり幅広い年齢を対象にしているテレビ番組が、たとえ誤読だとしても「親の愛ならばどんな嫌なことも受け入れろ」という価値観を結構な数の人に(それこそサジェストに出てくるレベルで)想起させる描写をしてしまうのは、個人的にはちょっと「フィクションだから」で許される範疇は超えてるんじゃないかなって心配になりました。少し工夫すれば避けられたのならば尚更……。

  実際私もこの話を見てから数年単位でやってなかった嫌すぎ家庭エピソードフラッシュバック大会が数日間にわたり勃発したレベルなので、より深いトラウマがある方はキツかったんじゃないでしょうか。

 まあでもリバイス本編にはある程度ショック耐性をつけていた方なので、こういう結論になるだろうな……みたいなのはある程度予想できてたんですけどね。ただこういった批判を「考えすぎ」と片付けてしまうのはちょっと危険な気がします。。

 実際家庭環境のコンプレックスというのは程度も種類も大きく差がある上、感じたことない人には想像しづらいかと思います。それ故強い言葉で批判する人が理解できない気持ちも分かります。ていうか理由はどうであれ罵詈雑言を述べるのは褒められた行為ではないですし、気を遣えなんて思ってるわけでもないです。

 けれど、ある程度落ち着いたはずの私ですらトラウマを掘り起こされるくらいに家庭環境問題あり人間に今回の話はだいぶセンセーショナルなものだったんだよ、というのは頭の片隅に置いてくださるとちょっとだけ嬉しいです。

 

狩崎が傷と向き合うことについて

 似たようなことを繰り返し言いますが、狩崎の人生に「真澄からの愛/真澄への愛を認める」「父親がいなくなってしまった寂しさと向き合う」という行為は必要だったと思います。だから今回の展開が無駄だったとは一切思いません。ですが、狩崎は本来ならそれをちょうどやってる最中だったんですよね。今回のように無理矢理傷と向き合わせるショック療法じみた行為ではなく、極めて穏やかで正しい方法で、ゆっくりと時間を掛けて、です。

 リバイスシステムが父親の技術と自分の技術を掛け合わせたものであるというのは一話で明言してましたし、命日には喪服を着て墓参りに行き、父親との思い出の品は大切に取っておいて、研究に行き詰まった時は思い出を反芻してひらめきに繋げ、そして50年後悪魔が支配した世界で親子の力をリソースにした仮面ライダーを作り上げている。ひとりで傷と向き合って研究成果に昇華できる人間だったんですよ。それを引っかき回したのが真澄の生存。嘘をつかれ続けていたこともそうだし、せっかく再会できたのに他の人間にばかり構っているし、自身の不器用さとタイミングの悪さのせいで対話も中々出来ないし。

 それでも元太ベイルの代理戦争で和解の兆しが見えて、混乱しつつも父親超えを認めてもらえたしあとは「ひとりにしてすまなかった」さえ聞けたら許せる段階まで来てたんですよ。で、実際にされたのは「自分の弱さ故に悪魔を移植した」って告白ですからね。しかも文句をいう間もなく向こうは死亡。

 せっかく狩崎が20年以上掛けて傷と向き合ってきたのをたった数ヶ月でひっくり返して愛情やらなんやらを全部憎しみへと反転させるようなことですよ……だからこんな時期にラスボス化してクソコテムーヴしても「かわいそうに……」って視聴者から同情買うんだわ……

 つまり狩崎の闇堕ちは私としては「何もかも真澄が悪い」になっちゃうんですが、この番組のアンサーは前述したような暴力的なわからせ行為なわけで、狩崎だけが強制的に限界状況に追い込まれてたくさん傷ついて傷ついて最終的に折れる形で自身の心情を吐露したわけです。いや……真澄を責めろよ誰か!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!誰でもいいから!!!!!!!!!!!!!!!!誰でもはよくないけどさ 今のままじゃあまりにもバランスが悪いわよ

 

まとめ

長々と書いてきましたが私の結論としては

  • 今回の描写は親コンプ持ち人間がアレルギー反応を起こしかねないものではあった
  • 着地点は良いけど台詞回しをもうちょっと工夫してほしかったな
  • 真澄を責める人がいないの描写のバランスが悪すぎるのでなんとかしろ
  • ジュウガはマジでかっこいいし、狩崎はかわいそうでかわいい

て感じです。まあ自分は支持派でも否定派でもない一介の狩崎オタクなので、こういう意見もあるんだ~くらいのアレとして見てくれたら いいな 

  私は狩崎の変身が聞けただけで人生5回分満足したので、ファイナルステージに行くことと棺にジュウガドライバーとぬいを入れてジョージ・狩崎のライダーシステム(キャラソン)を出棺のテーマにしようかな ていうことしか考えてないです今は

 

 ちなみに批判を呼んでいる「死に目に会わなかったのは息子として間違っていた」というポータルサイトの記述ですが、あれはまあ「あくまで狩崎の本心での話」が言葉足らずとインターネッツ特有の切り抜きで別方向に広まったんかな……と一応は解釈しています。そうじゃないと、同じく父親の死に目に会えなかった人間としてはちょっと正気を保てそうにないから

*1:アル中父親大暴れ&母親からの血筋揶揄人格否定家庭でした、今は父親が死んだおかげもあってだいぶ寛解してます